気が向いたらまたおいで。
私はここで、待っているから。
さよなら渡り鳥
基地の中にツバメの巣が見つかったと聞いたのは、今朝のことだった。とても不可思議なことが起きた心地になって、何だか面白いなと私は笑った。
秘密基地という言葉がこれほどまでに当てはまる場所は、きっとそうそう無い。そんな我らがネモ船長のカルデラ拠点も、羽根をたためば両の手のひらに乗るほどの小さな鳥の目からは、逃れることが出来なかったのだ。自然というものの無邪気さと抜け目なさを感じるし、くりくりとした目を持って可愛い真っ赤な帽子をかぶったあの鳥が、その体現者というのも示唆的で興味深い。馴染みのある鳥ということもあり、興味を引かれて見に行く事とした。
「あ、先生もいらしたのですか。可愛いですよね、ツバメ」
巣の下には、幾人かのクルーが集まっていた。皆それぞれ計器や書物を抱えているあたり、恐らく私のように、鳥を見る目的で足を止めたのではない。たまたま近くを通りかかったので興味を持った。そういった感じだ。
「ああ、可愛らしいね。もう雛は孵っていたのか」
「ええ。まだ目は開いていないようですが。ほら、親鳥が来ましたよ」
流石は研究者気質のクルー達だ。この少しの間にちゃんと巣の中まで観察している。普段あまり見ることのない生物に対する好奇心も手伝っているのだろうが、本当に細やかな観察眼を発揮するものだ。
「おい、何をしている。持ち場につけ」
暫しのんびりと鳥を眺めていると、後ろから低く迫力のある声がした。瞬間、一同は皆ぴんと背筋を伸ばし、無言で敬礼をして小走りに去って行く。
見事なまでに散ったなと感心しながら振り向くと、いつも通り不機嫌そうに眉根を寄せた、クレーメンスの姿があった。
「あまり脅してやるなよ。鳥の子達が怖がってしまうかもしれない」
「たかが居候に気を遣う義理など無い。幸福の王子気取りか。お前」
「はは、あの話、君も知っていたのか。それは手厳しいな」
大丈夫だよ、彼らの子育てに手を出すつもりはないさ、と、私は苦笑した。皮肉交じりの冗談なのか、それとも本気の言葉なのか。彼の言葉は判断が難しい。
「ところであの巣なのだが、処遇はどうなるんだい?」
少なくともクレーメンスが攻撃的な手段に出ていない以上、壊されることはないのだろうと思いながらも、私は彼に問うてみた。
「黙認だ」
「そうか、それは良かったよ」
「ふん。巣の下の掃除は……当番によく言い含めておくべきだとは思うがな」
クレーメンスは面白くなさそうに鼻を鳴らすと、大股で歩き去ってしまった。本気で関心が無いのか本心は邪魔だと思っているのか、はたまたそのどちらでもないのか。やはり判断はつかないが、少なくともネモ船長の意向を蔑ろにする人物ではない。彼もまた、この小さな同居人を受け入れることにはしたのだろう。
そろそろ回診を再開する時間だ。私は鞄を担ぎ直して踵を返す。初夏の日差しは既に強く、表に出た私の目を打った。
「ほう。ではあの巣は、ジウィラが見つけたのかい」
「はい。あの辺り、地底探索器具の倉庫でしょ? 任務で使う捜し物をしていた時に、チュイチュイ鳴いているのが聞こえたんです。変なネズミだったら嫌だから見に行ったら、ツバメ? でした」
結構皆、可愛いって気に入ってるよね。ちょっとだけ意外。と、目の前で昼ご飯を頬張っているのは、ここで働くクルーの一人であるジウィラだ。
実を言うと、発見者が彼であることは巣を見ていたクルーから聞いてはいたのだが、彼が何故、どうやってあの鳥たちを見つけたのか興味が湧いたので、こうして知らない振りをして聞いてみた、というのが本当のところ。
「それは親が子供に、ごはんだよと話しかける声だね。ジウィラは本当に耳がいいなぁ。凄いよ」
「え? そうかな? えへへ……ヨモさんも見に行ったんですか?」
「ああ、前の休憩時間にね。クレーメンスも来ていたよ」
「むぐっ! ……あ、そ、そうですか……怒ってました……?」
「いいや? 別に。船長も放っておくことに決めたようだし、ジウィラが何を言われる事も無いさ」
危うくむせかけていたジウィラだが、事なきを得たらしい。そっか、と少しほっとしたような声を出すと、ふーと一回息をついた。
「今の様子を見る限り、恐らくあと少しで雛たちも賑やかに鳴くようになる。鳴き始めて一週間もすれば鳥らしくなってくるし、早ければあと二週間ほどで巣立ちだろう」
「早いですね。まぁ、鳥だからそうか……。見つけたとき、まるで地底生物みたいっていうか、そんな感じだったんですよね。鳥っぽくなっちゃうのか。まぁそうですよね」
「羽毛が生えそろっていないだけだからね。すぐにふわふわした見た目になるよ。気になるのなら任務の合間にでも、顔を出してやるといい」
「んー……鳥のところ行くんだったら、ヨモさんとこでのんびりしたい気持ちがあるんだけどな。ま、でもヨモさんがそう言うなら、ちょくちょく見に行ってみますよ」
ジウィラは懐っこく笑って、再びスプーンを手に取った。
あれから十日あまり。雛たちは親が帰ってくるごとに、元気な声を上げるようになった。ジウィラは地底探索任務の合間を縫って宣言通り毎日様子を見に行っているようで、先日は巣の下の羽根や糞を綺麗にしている姿を見かけた。一度クレーメンスから私が受けた忠告と同じ事を彼にも伝えてみたが、「人の手を借りたら巣立ちが出来なくなるからダメなんでしょう?」と、さらりといわれてしまった。どうやら杞憂であったようだ。
巣の下に立ってみた。親鳥はかいがいしく世話を焼き、子供達は見違えるほど大きくなっていた。このまま順調にいけば、まもなく独り立ちしていくのだろう。ツバメは群れを作って過ごすこともあるが、群れの中でも基本的には個人主義、だ。自分の足で立てるようにならなければならない。
この数日間、ずっと思っていたことがある。私が気にするような事でも無いし、任務中とは言え顔を合わせる機会は多いのだから、聞いてしまっても良いのかもしれないが。
彼は、ジウィラは何を思って彼らを見守って、時には世話をしているのだろう。
いずれ自分が辿るであろう道を、あるいは自分が通るはずだった道を見ているのかもしれない。そんな事を感じ始めていた。
「お疲れ様です」
「あ……やあ、ブロトか」
呼びかけを受けて、意識が現実に引き戻された。栗毛の青年が気づけば隣に立っていた。目が合うとぴしりと生真面目に敬礼をして、巣を見上げる。
「飛ぶ訓練が始まっているようです」
「そうか。無事に大きくなれて良かったよ」
「最初の頃は落ちてばかりいて。ジウィラが拾い上げようとするので、止めていましたが……止めて、良いのですよね?」
「ああ、親が近くに居るのなら、そっとしておくのが一番さ。ここには天敵も居ないし」
「そうですか」
なるほど、ジウィラに忠告をしてくれたのはきっと彼に違いない。職務以外のところに感心が行きがちな彼の手綱をしっかり握ってくれている。君はよく勉強をしているねと微笑むと、彼は少し困ったような顔をして、もごもごと礼を言った。
「探索の調子はどうだい?」
「予定通り、順調です。地底の方でも、目標地点はまもなくのようで」
「忙しくなりそうだね。怪我と疲労には気をつけて」
「はい」
気をつけますと少しばかり笑顔を見せて、ブロトは綺麗な敬礼と共に去って行った。
ジャージャーという鳴き声が聞こえる。親鳥が巣に戻ってきていた。
「ヨモさんっ! ヨモさんきて! きて!! ねえってば!」
どんどんと激しく扉を叩く音に驚いて飛び出すと、頬を上気させたジウィラの姿があった。何事かと思ったが、彼の表情から見ると何やら悪いことが起きたような感じではなかった。純粋に驚いているような、何かを不安がっているような、それでいて喜びの予兆を感じているような、そんな表情だった。
「ツバメが増えてます!」
急いで巣の元へ向かうと、驚きの光景が広がっていた。巣の近くの柱やケーブルに、大人のツバメが十数羽とまっていたのだ。皆こちらに顔を向けて、何かを見守るようにじっとしている。
その中心に居るのは、とても不思議な感覚だった。そこは何かの儀式のような静謐な空間でもあり、また長距離走のゴール間近のような、温かな空気も満ちていたから。
肝心の巣に目をやれば、落ちぬようにぎゅうぎゅうと身を寄せ合っていた小鳥たちは、皆揃って身を乗り出していた。あぁそうか、目にするのは初めてだが、いつか聞いたことがある。
「応援、かな」
「応援?」
「いや、私も見るのは初めてなのだが……雛が巣立つとき、周囲に居る親鳥たちが応援に駆けつける事があるらしいんだ」
「うっそ……ここ孤島ですよ? どこから湧いて……」
ジウィラの言葉は、彼自身の上げたあっ! という言葉で断ち切られた。
土の巣の縁、ぎこちない動作で羽根を広げた一羽の雛が少しばかり慣れた様子で、それでもまだ泥臭くばたばたと懸命に、羽根を羽ばたかせて飛び出したのだ。それを皮切りに他のきょうだい達も、我先にと巣を抜けていく。
巣に近いケーブルに居るのは親鳥だろうか。彼らの飛翔を見届けて、天高く舞い上がったそのシルエットは誇らしげに夏の青空に輝いた。しかしながら少しだけ、そうほんの少しだけだけれど、寂しがっているようにも見えた。
「ねぇ、彼らはこの後どうなるんです?」
何かに戸惑っているような顔で、ジウィラが話しかけてきた。もうとっくに私の背を抜かしてしまっているはずなのに、上目遣いで不安げに母の袖を引く子供のような、そんな表情だった。
「この後は親鳥に教育を受けながら、渡りに備えて仲間と一緒に沢山ご飯を食べるんだ。そうして秋が深まった頃……皆で南へ渡っていくんだよ」
「そっか……」
「近くに居る間、時々は戻ってくるかもしれないね。実家に遊びに来る個体はいると聞くし……ツバメは自分の巣の場所を覚えていると言うから、来年ひょっとすると、お嫁さんやお婿さんを連れてくるかもしれない」
「そうなの? 戻ってくる?」
「ああ、きっと」
私は微笑みながら、ゆっくり頷いてみせた。ジウィラはそれを見ると、何かを吹っ切ったようにツバメたちを見やり、声を上げて手を振った。
「また来年戻って来てよ! ボク達待ってるからね!」
その言葉を聞いて、はっとした。
彼も生物を研究する身だ。自然の中で生き物が生きていくことの厳しさは知っている。仮に来年ツバメが戻ってきたとして、同じ子であることは限らない事もわかっている。
それでも彼は今約束をしたのだ。ここで待っていると。来年も必ず巡ってくる自然の大きな動きと、この地球が備える時計の針と。
あぁ、そうか、そうだったのだ。彼は小鳥たちに自分を重ねていたわけではなく、きっと……。純粋に小鳥たちを客人として保護者として、見守ることに意味を見いだしていたのだ。そのことに思い当たったとき、何故か鼻の奥がつんとして、少しばかり目頭が熱くなっていた。
「あれ? ヨモさんひょっとして、感動してます?」
「はは、そうだね。私もどうやら、あの子達には思い入れが出来たらしい」
あの親子の影は見えない。応援のツバメももう姿を消していた。彼らの飛んでいった方角には、夏の雲が元気よく頭をもたげて、太陽の光を受け美しく輝いていた。
「また会おう! 元気でね!」
叶うことなら、次の年にまたおいで。
私たちは、ここで待っているから。
河波 悠さま(https://twitter.com/kawayuh)にいただきました…!!
受け取って萌え転げながら読ませていただきました……っっ
河波さんの暖かな文章で描かれるヨモとジウィラ、端から端まで最高に可愛すぎませんか~~!!
ふたりの話を生み出してくださっただけでお腹いっぱいですのに
超大作なうえにまさかのネモクルーオールスターズ!感激です!
河波さん、ありがとうございました!!